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Nagasaki University Library [Mansvelt Collection]

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マンスフェルトアルバム

 長崎大学は1857年11月12日長崎奉行所西役所において開かれた医学伝習所を創基としています。医学伝習所は1861年9月に小島に移転して養生所・医学所となりました。その後1865年に精得館と改称され、明治維新を契機に1868年の長崎府医学校から、1869年の長崎県病院医学校と改まり、1871年から文部省に移管されて長崎医学校となります。

 この間オランダからのお雇い外国人が3代にわたって赴任しています。
ボンベ Johannes Lijdius Catharinus Pompe van Meerdervoort (在日期間1857-62)が初代の教頭を務め、ボードイン Anthonius Franciscus Bauduin (在日期間1862-70)が2代目を継ぎ、マンスフェルト Constant George van Mansvelt (在日期間1866-1879)が3代目の教頭となっています。マンスフェルト(1832生-1912没)は、約5年間長崎に滞在し、その後熊本医学校(熊本大)、京都府療病院(京都府立医大)、大阪府立病院(大阪大)へと転出し、日本の初期医学教育に従事します。

 長崎大学附属図書館は、2007年のボードインアルバムの収集につづき、2011年にマンスフェルトアルバムの写真データを入手することができました。マンスフェルトから数えて4代目の子孫となるエレン女史 Ellen Beatrice van Mansvelt のご厚意によるものです。残されたアルバムは、和綴で千代紙模様の絹地で表装された2 冊本です。表紙の中央にはハート形の紙が貼られ、そのなかに「日本」 Japan および「中国、ビルマおよび英領インド」 China Burman and British lndie と記入されています。長崎大学が入手した写真データは、そのうちの「日本」(310×465×25mm)に収載された大中小の写真97枚です。これらにより、明治初年の日本の医学教育のみならず、文明開化の足跡を具体的に検証できるものと期待いたします。

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<ご子孫からのメッセージ>

コンスタント・フリソ・ファン・マンスフェルト氏(孫)より 2015年2月9日、96歳の誕生日に

「私はあなた方が祖父の在りし日の記憶を大切にしていることに感銘を受けました。私は1919年の生まれですが、祖父は1912年に亡くなりましたので、私は祖父のことを知りませんでした。娘のエレンがインターネットを使ってコンスタント・ゲオルグ・ファン・マンスフェルトの生涯について非常に多くのことを見つけて教えてくれました。祖父が医師としてまた医学教師として日本で行ったことの多くを詳しく知って私は大変驚きました。」

エレン・ベアトリス・ファン・マンスフェルト女史(曾孫)より

「私は曾祖父がオランダに帰国した際に持ち帰った18世紀及び19世紀の日本の美しい芸術作品に満ちた家で育ちました。象眼を施した漆塗りの箱、繊細に彩色された磁器、青銅の器や彫像など、入念に細工された工芸品に囲まれていたことにより、私は幼くして日本文化を大いに味わうことができました。私はC.G.ファン・マンスフェルトその人に会ったことはありませんが、壁には彼の肖像が掛かっており、祖母は彼のことを好んで物語りましたので、彼は私たちの家庭内で強い存在感を有していました。私は、いつの日か日本を訪れ、これらの古写真に写された場所に行って、どれだけそこが変わってしまったかを是非とも見てみたいと思います。」

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Constant van Mansvelt (1832-1912)